現代の写真は古き時代の独楽の如し
目次
と何となく独楽の写真を撮影しながら思った今朝9時15分。
※他の方を撮影したりそういうそういう楽しみ方や、仕事としているハイアマチュア〜プロの方はまた別とし、あくまでライトに楽しむ趣味の範囲の話と趣味視点の投稿です。
「独りで楽しむ事」独楽の語源・由来を調べていると「独りで楽しむ」というワードが出てきて、自分が趣味の範囲で独りで楽しんでいるカメラや写真も同じだなと感じたりなど
(他の方を撮影したりそういうそういう楽しみ方や、仕事としているハイアマチュア〜プロの方はまた別とし、あくまで趣味の範囲の話で)
そう考えるとある意味、
SNSという土俵の上で趣味の範囲で独りで楽しみつつ、SNS上で回し(いいね)たり、誰かがより長く多く(RTリツイート)回ったり、勢いよく多く回った(バズった)方が価値(勝ち)があったり、写真はある意味で現代の独楽ではないのかと
SNSという土俵の上で
TwitterのRT数やイイね数
Instagramのイイね数
フォロワー数
など多い方がより多くの方々の目に触れる機会があり価値があるように見えてしまうという現代社会に対して又は自分自身に対しての風刺的比喩
だけどまたそれが文化でもある‥と思う
そういう比喩をふと思い付いた今朝9時16分。
それをblogに書こうとした夕方17時15分。
自分自身が趣味に対しても全てに対しても怠惰であり、勢い良く回っているとは言い難い独楽(駒)で、そんな大したことない人間で社会的に必要のある駒であるかすら分からない
みたいな例え方もできるけれどこれは自虐的でネガティブ過ぎるのでナシで。
「こま」で掛けて踏んでいく!ジョーク的な。
趣味に関してはまぁ細かく無理せず勢い良く回らなくて良いかなと個人的に考えていて、自分のペースで回り、長く回ら(バズら)なくてもいい、写真を撮ったり書いたり趣味として継続して独りで楽しめたらそれだけでいいのかなと思ったりしています。
またそれを楽しみに生きて行けたらいいなと。



やっと書き終わったyuugaTa 18時05分。
スマホのゲームをするという逆回りをしつつ天井を眺め怠惰に過ごす困った人間は
\わたしです🖐/
みたいなオチで〆
今日の晩御飯はKOMATSUNAです。

